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ヴィム・ヴェンダース

[Wim Wenders (1945〜) ]

履歴

本名はErnst Wilhelm Wenders。1945年の8月14日、ドイツ、デュッセルドルフで誕生。父は外科医である。12歳のときに父から8ミリカメラを買ってもらい友人たちと探偵ものを撮ったりする。16歳のころロックンロールとも出会い、家がロック厳禁だったために内緒で聴いていたりする。彼の映画と共存する音楽との出会いはここから始まった。

1966年大学卒業後、画家を目指しパリへ進学。午前中は銅版画を学び、午後はシネマテークで夜中まですごすという生活を続ける。パリ滞在中1年間に観た映画は1000以上にものぼった。ドイツに戻ったあと、ミュンヘンTV大学に入学。映画製作の傍ら、批評家として執筆。卒業製作で『都会の夏』を発表。その後ニコラス・レイ監督のアシスタントを務め、『ゴールキーパーの不安』、『まわり道』などを発表。

1976年にロードムービーズ社を設立。77年の『アメリカの友人』がヒットし注目を集めると、彼を評価したコッポラが『ハメット』の監督に抜擢。しかし、ハリウッドのやり方やコッポラと折りがあわず、なんとか完成はしたものの興行は失敗。84年の『パリ・テキサス』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、その作風からロードムービーを代表する映像作家として評判となる。87年の『ベルリン・天使の詩』で独特の映像感覚を発揮する。他に、『夢の涯てまでも』、『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』、『ミリオンダラー・ホテル』、などがある。

『ベルリン・天使の詩』あたりで彼の監督としての時間は終わったと言う批評家などもいるが、現在でも映画の未来と向かい合い前衛的に作品を撮り続ける数少ない監督の一人である。

説明

『パリ、テキサス』以降、ヴェンダースはロードムービーの巨匠と言われるようになる。それは『パリ、テキサス』にはじまったことではなく、彼が撮り続けてきた作品にはロードムービー3部作とされる初期作があり、その形に由来している。それは『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』である。移動することで外に時間を意識させ、その時間は永遠の移動となる。漠然とした起源はあるものの、気持ちは浮遊しているかのように動き続ける。電車があれば、車もあり、もちろん自分の足でも歩く。『まわり道』の原題が「無駄な動き」であるように、どれも一見無駄に動き回っているだけである。『アメリカの友人』という傑作以降の作品には移動という行動にサスペンス的要素が含まれはじめ、物語として意味を持ちはじめているが、初期作品の移動は移動でしかない。『都会のアリス』も『さすらい』も動くことは彼らの生活の一部としてあるものである。つまりは動くこと自体に意味があるのではないし、なにかに向かって動いているわけでもない。語るべき物語が存在して動くのではなく、動くことで物語が発生しているにすぎない。それは人間の純粋な呼吸でもある。もちろん移動すること自体に意味が含まれることで観る側はより観やすくなり、興行作品としても受けやすい側面を持つようにもなるだろう。どちらにもよき部分はあり、作品として使い分ける必要はあるため、どちらが良いとは言いきれない。しかし、最近の映画では、無駄な時間とされる移動カットは実景などで意味なく短縮されることが多くなってもいる。
無意味な移動などなく、ヴェンダースのように使うことでより一層深みを増すことがあるというのに。

その物語の導き方ゆえにロードムービーという一つのジャンルを確立し(厳密に言えばもちろんそれ以前からロードムービーと呼ばれる映画は、ロッセリーニや、アントニオーニ、アメリカンニューシネマの旗手の作品などいくつもあるが彼ほど美しくその形を明確にしたものはいない)、監督としての地位も得たわけだ。しかし、それだけで彼が今ほどの地位を得るわけが無い。『アメリカの友人』のようなサスペンス作品、『ベルリン・天使の詩』のようなメルヘン・ヒューマンドラマなどの傑作を忘れてはならない。

特に初期作では何かわかりやすいメッセージとか物語といったものがあるわけではない。なんでもない時間の体験ともいえるのかもしれない。しかし観終わった後、心には深く感慨が残る。そんな共通点が彼の作品にはある。誰よりも単純だからこそ、複雑性を帯びた監督であるといえるだろう。

彼はある時期まで、物語を語ることを避けていた。彼には映像そのものが全てだった。どう何を切り取るのかということである。だから、彼の初期作では作品の中で「さすらう」ことが重要となる。撮影される対象である人間がニュートラルでいられる状態、それが「さすらい」だからである。なんとなく動くことで、物語は後からついてくる。それでよかったのだ。

しかし、彼は、パトリシア・ハイスミスの原作である『アメリカの友人』を撮影し、コッポラ製作の『ハメット』を経由し、『パリ、テキサス』を完成させる。このころから彼の物語りへの考え方、映画の考え方は変化をしはじめる。

また彼はアメリカに執拗に固執してきた。それは彼の幼少時代の体験などが大きいのだが、彼は子供の頃からずっと遠くアメリカに幻想を抱いていた。映画も例外ではない。アメリカ映画という夢、彼はそれを常に心において映画を撮り続けていた。そして最後のアメリカ映画といわれるまでになった作品『パリ、テキサス』が誕生する。

最も愛され、有名な作品『パリ、テキサス』を例に彼の映画について述べていく。この作品は、忘れられたアメリカ映画を撮りたいと思い彼が製作した作品である。いきなり冒頭でそれが伺える。テキサスの荒野に鷹、そして鷹から見たかのような俯瞰のショット。これらはサム・ぺキンパーを意識しているかのようなショットである。この冒頭から主人公のトラヴィスは歩き続けている。後々明らかになるわけだけれど、彼は地から足が離れることを、何かが途切れることを恐れている。だから歩き続ける。彼は長距離移動しなくてはいけないにも関わらず、飛行機に乗ることを嫌がり、地について走る車なら乗ると言う。永遠と続く道や線路、そういったものは、自分から逃げている自分さえ信じられないトラヴィスにとって、安定を持った確かなものなのである。弟の家に着いた彼は弟夫妻の靴を磨いている。ここで彼はその靴の間が空くことを恐れている。義妹が自分の靴を取ると彼はその空白を埋める為にずらしてゆく。こうやって随所に彼の感情を映してゆく。

何かを無くした男が、自分の居場所に戻る。そして物語は展開をみせる。といったこの形は、アメリカ西部劇の一例ともいえるほどの形である。細かい設定はもちろん違うもののそういった意味でもアメリカ西部劇、そしてメロドラマのような軸をきちんと抑えながら自分の物語にしている。

この作品を美しくしているのには、ロビー・ミューラーのカメラも一つの要因となっている。初期から『パリ、テキサス』までの作品を彼が撮影しているのだが、「映像のレンブラント」とまでよばれた彼の撮影技術はテキサスの荒野を独特の明暗色彩で切り取っている。

ラストの方でトラヴィスは妻に会う。妻のジェーンは一種の覗き部屋のようなところで働いていた。トラヴィスはマジックミラー越しに真相を語る。彼からは彼女が見えるのだけれど、彼女からはトラヴィスは見えない。だから彼女は最初相手がトラヴィス(元夫)であることに気がついていない。暗がりからは明るいとことは見えるが逆は無理というこの構図は、辛いときの幸せは明確に感じ取ることができるにも関わらず、幸せなときは近くの不幸さえ見逃してしまうとでもいうかのような形をつくっている。そしてなによりもこのカットの映し方もおもしろい。マジックミラーで語り合うことで切り返すことなく二人の顔同時に映し出す。向こうの彼女と反射するトラヴィスと。それほどに近くに感じ取ることができるものの、その一線を超えることなどはできない。このシーンの最後に彼女もマジックミラー越しにトラヴィスを目にするのだけれど、そこで彼を見たからといって、そこに残っているのは希望ではなく、絶望である。確かに彼は、彼女は自分が逃げていたものと目を向き合わせた。しかし、それは疑似的なものである。その虚しさからは結局逃れることはできない。そしてまた道へと戻ってゆく。それは永遠回帰のニヒリズムのようなものである。





ヴェンダースは根っからのシネフィルであった。ヌーベルバーク時代からはじまったことであるといえるが、彼も映画を観ることで多くを学び得たといえる。

アメリカ映画を好み、ヌーベルバーグの巨匠たちにも影響を受けている。ミケランジェロ・アントニオーニを慕い、またその前の世代ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカのような監督のロケーション撮影をフランスヌーベルバーグとは違った形で引継ぎ、ジョン・フォードのような活劇を見つめ、ロードムービーというジャンルを確立してきたともいえる。

『パリ、テキサス』以降の作品しか観たことの無い方々はあまり知らないかもしれないが、彼も監督をする以前や傍らで批評活動をしていた。自国のラングやムルナウはもちろん、ヌーベルバーグ時代の作品、それ以前のヨーロッパ映画、そしてなによりもハリウッド映画を好み、ジョン・フォードやアンソニー・マン、ニコラス・レイなどを敬愛していた。

ロードムービーとしての側面ばかりが取り上げられているが、『アメリカの友人』や『エンド・オブ・バイオレンス』のようなアメリカサスペンス、活劇としての側面を持った作品こそ素晴らしい。サム・ペキンパーや、古くはジョン・フォードのような監督が描いて見つめてきた美しきアメリカ映画のもつ影を、他国の人間が描き出すことができるなど稀なことであり、そこにおおくの映画監督は嫉妬してもいる。

又、ヌーベルバークからその後の世代の監督は、自分の作品の中に多くの監督に対する尊敬の念をあらゆる形で残してゆく。ヴェンダースも例外ではない。『都会のアリス』のラスト、列車の中で読む新聞にフォードの死亡記事が載っていたり、『さすらい』ではフリッツ・ラングの『ニーベルンゲン』を話題にし、主人公の車の中にはゴダールの『軽蔑』に出演したラングの写真がある。またニコラス・レイやサミュエル・フラー、マノエル・デ・オリヴェイラなどの監督には出演をしてもらってもいる。ミケランジェロ・アントニオーニが監督をした作品『愛のめぐりあい』で、プロローグ、挿話、エピローグ部分の監督を買って出たりもしている。そして『ベルリン・天使の詩』のエンドロールでは小津安二郎やトリフォーやタルコフスキーの名前を元天使として載せたりもしている。

ヴェンダースが小津を敬愛し、『東京画』というドキュメンタリー作品まで撮ったのは有名な話であるが、彼が小津の映画に出会うのは彼がもう映画を撮り始めてから、おそらく1970年後半頃のことである。世界的に小津の作品の評価自体がきちんとされるのが1970年以降、小津自身の死後であったということも関係していると思うが。

しかし小津と出会ってからも特別作風が変わるということは無かった。それは影響を受ける受けないという問題ではなく、彼は小津を自分自身と重ねて感じていたのだと思う。そして現在、時間は繰り返すというかのように、ヴェンダースも私たちにとって自分自身のような存在として映る。ヴェンダースについて語っているある本の中で黒澤清や青山真治、塩田明彦ら現在日本を代表する映画監督はヴェンダースに初めて出会ったとき、見ず知らずの場所に自分に先行して自分そっくりの人間がいたことに驚いたと言っている。私も初めて彼の作品に出会ったとき、やられたと思った。これは私が見ていた、見ようとしていた世界だと。

彼は音楽と共に歩んだ映画作家ともいえる。数多くの作品の中で演者は歌を口ずさむ。またカーラジオから、ジュークボックスからThe KinksやBob Dylanのような心地よいロックを聞かせる。また『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』や『ソウル・オブ・マン』のような音楽ドキュメンタリーを製作したりもしている。そして『ミリオンダラー・ホテル』はU2のボノが原案を書いたものであり、その音楽も担当している。『パリ、テキサス』のRy cooderも素晴らしい。彼の作品は全てが売れたわけでもなく、有名なわけでもないのに関わらず、その多くのサントラが発売されている。それは簡単に言ってしまえば、その映画の音楽の趣味の良さの表れといっていいだろう。

何作も傑作と言われる作品を残しているにも関わらず、彼は過去の栄光に縋ることはない。過去の栄光を大きく美化し、そればかり見ようとしているのは外の人間である。だからかもしれないが、新しいものを模索している彼は一部の映画関係者からは、もうすでに終わったとされている。ハード的にもソフト的にも時代と正面から向き合いながら彼は歩き続けている。その軌跡は古き映画を愛しながらも、デジタル画像の可能性をより早く敏感に感じ、思考してきた作品創りにもみることができる。今後どのような作品を取っていくのかはわからないが、誰がなんと言おうとこれからも彼から目を離すことはできない。巨匠でありながら、まだまだ前衛的な映画監督の一人である。


最後にヴェンダースの盟友であり、脚本家のペーター・ハントケによる「わらべうた」の一節をあげたい。彼は『ベルリン天使の詩』の脚本協力もしておりこの一節は通ずるものがある。そして『ベルリン天使の詩』が叙情的で美しいといわれるが、その影にはプラトンやバークリやカント、ニーチェなども問い続けた、哲学として側面が埋もれていることを感じてほしい。

ここで重要なのは哲学的かどうかではなく、映画とは見えるもの、見えないものなのであり、その全てを含め映画であることなのです。


子供が子供だったころ
いつも不思議だった
どうして僕は僕で
君ではないの?
どうして僕はここにいて
どうしてそっちにはいないの?
時の始まりはいつ?
宇宙の果てはどこ?
お日さまの下で生きてるって
ほんとはただの夢じゃないの?
見たり聞いたり嗅いだりすることは
この世界の前にある世界の
ただの影じゃないの?
悪があるってほんとう?
悪い人ってほんとうにいるの?
僕が僕になる前
僕はなんだったの?
そしていつか僕が
僕でなくなったら
僕はなにになるの?



お薦め作品

『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』『ミリオンダラー・ホテル』あたりが観やすく良質な作品であると思います。個人的には『都会のアリス』『さすらい』『アメリカの友人』がお薦めです。



全作品

1970   都市の夏/キングスに捧ぐ
1971   ゴールキーパーの不安
1973   緋文字
1973   都会のアリス


1975   まわり道
1976   さすらい
 カンヌ国際映画祭 FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞


1977   アメリカの友人
1980   ニックス・ムービー/水上の稲妻
1982   ことの次第
 ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞
1983   ハメット
1984   パリ、テキサス
 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞 
 英国アカデミー賞 監督賞


1985   東京画
1987   ベルリン・天使の詩
 カンヌ国際映画祭 監督賞
 ヨーロッパ映画賞 監督賞


1989   都市とモードのビデオノート
1991   夢の涯てまでも
1993   時の翼にのって/ファラウェイ・ソークロース!
 カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ
1994   リズボン物語
1995   愛のめぐりあい
 ヴェネチア国際映画祭 国際評論家賞
1996   ベルリンのリュミエール
1997   エンド・オブ・バイオレンス
1998   ウィリー・ネルソン・アット・ザ・テアトロ
1999   ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ
 ヨーロッパ映画賞 ドキュメンタリー賞
1999   ミリオンダラー・ホテル
 ベルリン国際映画祭 審査員賞
2003   ソウル・オブ・マン
2004   ランド・オブ・プレンティ


2004   ドント・カム・ノッキン